貧困が子どもに与える心理的影響とは?子どもの貧困に対し、大人ができることを考える

手の上のハート2つ

社会問題として、少しずつ認識が広まってきている「子どもの貧困」。
将来の日本経済の財政損失につながるとして、その解決は喫緊の課題となっています。
しかし、その対策は、経済的援助を待つばかりではありません。なぜなら貧困が影響を与えるのは、子どもたちの心であり、その健全化が大きな意味を持つからです。
その点では、子どもの貧困に対して、教育は重要な役割を担っていると言えます。

本記事では、貧困が子どもに与える心理的影響について考えます。そしてそれに対し、私たち大人がどのような態度で対応するべきなのか。どのような社会の構築が大切なのかを検討してみたいと思います。

子どもの貧困の概要

手を重ねる親子

まずは子どもの貧困がどのようなもので、どういった問題があるのか、その概要を説明します。

貧困問題と聞くと、経済的な支援ばかりが、解決課題と認識されがちです。しかし子どもの貧困は、金銭的援助や、制度の見直しだけで解決するものではありません。
苦しんでいるのは、生身の人間、しかも未熟な子どもたちです。貧困が子どもたちの「心」にどのような影を落とすのか。そして、それに対し大人はどう対応すればよいのか。
それを考えない限り、根本的な解決には至らないでしょう。

子どもの貧困とは

子どもの貧困が示す「貧困」は、寝食に困るような「絶対的貧困」ではありません。
生活水準を表す「等価可処分所得」が、日本の中央値の、さらに半分以下の「相対的貧困」の家庭の子どもたちを指します。
飢え死にするような状況でないとはいえ、「相対的貧困」家庭の子どもたちには、さまざまな問題が懸念されます。
もちろん貧困状況とされる家庭でも、子どもたちが豊かな心を育めないなどということはありません。さまざまな事情があっても、素晴らしい教育をほどこす親もたくさんいます。
ただ、貧困家庭に問題が生じやすいことも事実です。
大事なのは、貧困の家庭の子どもが、どのような心理に陥りがちなのか理解することです。

貧困は子どもから希望を奪う?

「大学に進学して学びたいことがあるけれど、うちは貧乏だから働かなければいけない」
「入りたい部活があるけれど、備品を買うお金がないので断念した」
「友達に遊びに誘われたけど、兄弟の面倒を見なければいけないから断らざるを得ない」

貧困の家庭の子どもには、こういった「我慢」が生じる可能性があります。
確かに、時には我慢も必要です。人生はいつも思い通りにいくものではない。それを学ぶことも重要です。しかし人生は、自ら切り開くことができます。その希望を抱くことに「我慢」は必要ありません。

その希望すら我慢して「自分には未来などない」と子どもが思ってしまったらどうでしょうか。社会での活躍も諦めてしまい、貧困を解決することもできません。
貧困は子どもから、生きるうえでもっとも重要な「希望」を奪う恐れがあるのです。

学校だけではカバーできない

貧困下にある子どもの数は、7人に1人と言われています。当然学校生活の中でも、貧困家庭の子どもは、苦しむことがあります。

「塾に通っている友達より、テストの点が低かった」
「授業参観に、自分の親だけ来てくれなかった」
「運動会で、お弁当を家族と食べれなかった」
「ほかの子のように習い事に通えない」

きっかけは些細なことかもしれません。しかし、自分を他人と「比較」していくうちに、人知れず傷つくこともあるでしょう。学校で起きる出来事とはいえ、そういった問題について、教師がすべてをフォローすることなどできません。
教師の業務負担は現状でも大きく、そのような問題へのアプローチも容易ではありません。

大人を頼れない子どもたち

なにより大人が理解していなければいけないのは、貧困家庭の子どもは、大人を頼れない傾向にある、という点です。
貧困家庭の子どもは、いろいろな諦めを経験するうちに、「うちは貧乏だから、なにもチャレンジできない」という思いが定着し、気が付かないうちに自信を喪失してしまいがちです。そうなると、希望を口にすることすらなくなります。
ましてや、家庭に虐待などの問題が生じている場合、そもそも「大人は頼れない」と、決めつけてしまうでしょう。
貧困下の子どもたちの多くが、自分の状況に対し、自ら助けを求めることができません。
子どもの貧困は、「大人が知り、大人が動くべき」問題なのです。

貧困が子どもに与える心理的影響を考える

読書をしながら想像を膨らませる子どもたち

「子どもの貧困」を解決するには、大人から子どもへのはたらきかけが大切です。
ここからは、貧困下の子どもたちが、どのような心理的苦痛を負ってしまうかについて、考えていきましょう。
これを理解することで、貧困下の子どもたちに対し、どのような姿勢で向き合えば良いかが分かります。
さらには、これから作るべき「社会像」も見えてくるでしょう。

自分の可能性を否定してしまう

金銭的理由から「できないこと」が増えていくうちに、子どもが自身の可能性を否定してしまうことがあります。
自己肯定感は下がり、自ら人生を切り開いていく気力すら失ってしまうかもしれません。自分には何も変えることはできない。夢すら持ってはいけないと、思いこんでしまうかもしれません。
しかし、実際はそうではありません。自身の努力や考え方次第で、未来を変えることは可能です。
もちろんそこには、さまざまな試行錯誤が必要になるでしょう。失敗したり挫折したりすることもあるかもしれません。
ただ大切なのは、挑戦するための希望を忘れないことです。希望は、家庭環境に関わらず、誰もが持つ権利があります。
それを実感する機会を、大人はすべての子どもに与える必要があります。
小さな成功を褒めてあげる。良いところを見出してあげる。感謝を伝える。
些細な出来事で、子どもたちは自己肯定感を取り戻していけるでしょう。

思いを聞いてくれる大人がいない

貧困家庭の子どもたちは、大人を頼れない傾向にあります。そうなると子どもは希望や夢があっても、口にすることすらできないでしょう。
また、人知れず抱いている負の感情も吐露できません。なにか我慢していることがあっても、「自分はだいじょうぶだから…」と本音を語れないのです。
しかし本当は「だいじょうぶ」ではないのです。自身の思いや、辛さは、押し殺す必要はないはずです。
閉ざしてしまった心を開くには、大人がそれを受け止めてあげる姿勢が必要です。

目指す大人が身近にいない

子どもは大人の背中を見て育ちます。しかし貧困家庭の子どもには、その見本となる大人が見いだせないことがあります。
視野を広げる機会もありません。「あの人みたいな大人になれば、人生は明るくなるだろう」という、目指すべき大人がいないのです。
ましてや社会は日々刻々と変化しています。従来のように、「このように生きれば大丈夫」というモデルがどんどん崩れています。
働く大人の姿も、IT化や、AI化などにより、子どもの日常生活からどんどん遠ざかりつつあります。
そのような見本がいない中で、将来に希望を抱くことは、子どもたちにとってとても難しいことです。
そこに解決策を与えられるのが、教育ではないでしょうか。

希望を抱く機会がない

子どもは多くの体験を通して、自分の希望は何か、それをかなえるにはどうしたらよいのかを、学んでいきます。
そういった力を身につけるには、多くの「経験」が必要です。
何かを体験する。誰かと出会う。知識を身につける。知恵を磨く。そういった機会が、貧困下の子どもたちには不足する恐れがあります。
そのような希望を抱ける機会を与えることは、子どもの想像力を磨くのに大きな助けとなるはずです。
多くの費用をかけなくても、子どもたちに経験を積む機会を与えることはできます。
そしてそれを施そうとする大人の姿勢から、子どもは愛情を受け取ることができます。

貧困であっても、子どもから希望を奪ってはいけない

夕暮れ時にたかいたかいをしている親子

本記事では、貧困が子どもに与える心理的影響について考察してきました。
貧困下の子どもに、もっとも懸念すべきは、彼らが「希望」を失ってしまうことでしょう。そしてその苦しみを、吐き出すことすらできなくなってしまうことです。
それを解決するには、大人が子どもたちの気持ちを理解してあげることです。そして、心を閉ざすことなく、希望を抱いてよいのだと背中を押してあげることが、何よりも大切ではないでしょうか。
声をかける、認めてあげる、話を聞く、さまざまな話を聞かせてあげる。
方法はいくらでもあります。そうして子供の希望を引き出すことが、貧困問題を解決する原動力にもなるはずです。
子どもの貧困が問題となっているなか、大人がそのような姿勢を忘れない社会が望まれます。