現代の子どもたちの教育を語る上で、重要視されるのが「キャリア教育」です。
ただ、その意義や目的が、いまだに多くの大人に理解されていない状況があります。
キャリア教育という言葉がはじめて提唱されたのは1999年のこと。まもなく21世紀を迎える日本そして世界は、情報革新やグローバル化などを受け、著しい社会変動の中にありました。
そして今もその状況は落ち着くどころか、ますます未来の分からない世界となっています。
子どもたちの「キャリア」は、そのような未来の中にあります。
私たち大人は、これからどうなるかわからない世界で生き抜くための教育を、子どもたちに与えていかなければいけないのです。では、必要になるのはどのような教育なのでしょうか。
本記事ではキャリア教育の意味やこれまでの経緯、そこで生じた課題とこれからを考えていきます。
キャリア教育とは
「お仕事に就くための教育?」
「社会を生き抜くための教育?」
さまざまな解釈をされがちな「キャリア教育」ですが、その内容は表面的ではない、たいへん深いものです。
まずは正しいキャリア教育の意味を理解することが大切です。
「キャリア」とは何か
そもそも「キャリア」とは何でしょうか。
「キャリア設計」「キャリア相談」などの言葉に見られるように、一般的には職業や役職のことを想像してしまいがちです。
しかし「キャリア」が指すのは、単に職業や役職だけでなく、「働くこと」とのかかわりを通しての、「個人の生き様」にまでおよびます。
つまり人が社会生活を送っていく上での、生き方そのものを指していると言えます。
人は生きている過程でいくつもの役割を持ちます。親から見れば「子」という役割ですし、子どもができれば「親」の役割を担います。また、「学生」から「会社員」になるなど、その役割は変化していきます。
社会に出れば職業や立場によって、役割はより細かくなります。会社の中での役割もあれば、家庭での役割もあります。
そのようなさまざまな役割を担っていく過程で、「自分にはどんな役割が果たせるだろう?」「自分の役割の価値は何だろう?」と考えていきます。「キャリア」が指しているのはこういった内容です。
キャリア教育と職業教育
キャリア教育はややもすると、「職業訓練」のように捉えられがちです。しかし、そういった教育は「職業教育」であり、「キャリア教育」とは分けて考えられます。
職業教育は特定の職業に従事するために必要な知識や技能、能力や態度を育成する教育です。
それに対しキャリア教育は、「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」と定義されています。(文部科学省 平成22年度第二次審議経過報告)
つまり特定のスキルを身に着けるというよりも、自分の役割を考え、見つけ、身に着けていくための能力や態度を育てていく教育と言えます。社会の中でどのように生きていくか、その根本的な能力を養っていくのがキャリア教育なのです。
キャリア教育が提唱された背景
次にキャリア教育が提唱された背景を見ていきましょう。
最初に「キャリア教育」が提唱されたのは平成11年。1999年のことです。
情報技術の進歩やグローバル社会の中で、社会構造は変化の一途を遂げていました。教育に求められていたのも、そのような不透明な社会で生き抜くための学びです。
また、当時はニートやフリーターの増加など、「仕事」に関わる社会問題が表面化している時代でもありました。
学校教育に向けられた指摘。それは「生きること」や「働くこと」に対して十分な取組をしてこなかったのではないか、というものだったのです。
キャリア教育は、そのような背景の中、提唱されたものでした。そのため当初は「就職」を意図した文脈で語られるものだったのです。
しかしその文脈で考えられるキャリア教育には、課題も浮上してきました。
キャリア教育に浮上した課題
社会の変化や、社会問題を受けて重要視されたキャリア教育ですが、当初の意図からはいくつかの課題が浮き彫りになってきました。
これらの課題への反省は、これからのキャリア教育を考える上でも大変重要なものとなります。
ここではキャリア教育が提唱されて以来生じてきた課題と、これからのキャリア教育について考えます。
キャリア教育の本来の意義とは
「就職」を意図したキャリア教育では、実際の職場での体験活動が重要との側面から、職場体験を行って、それで完了といった扱いもされがちでした。また「進路」のことばかりに目が向いている傾向も見られました。
確かに、仕事の現場を体験し勤労観・職業観を養うことや、望む職業を見越した進学は大切です。
しかし、それでは、本来のキャリアに関する学びとしては不十分です。
予測できない社会の中を、自分で考え、自分で問題解決し、生き抜く能力を育てているとは言えません。
今日のキャリア教育は、そのような従来の課題を受け、本来的な意味での学びが重要視されています。
良い大学に入ったら教育は完了ではありません。そこから自分で学ぶべき学問を判断し、それを活かした道をデザインしていく能力が、本来的に大切なものです。
有名企業に就職できても安泰ではありません。いつその会社が無くなるかもわかりません。社会の価値観も根本から変わるかもしれません。その中で、自分で生き方を選択していく力が必要です。
そのような混とんとした社会の中で、価値のある役割とは何か、そして自分はどういった役割を果たすべきか、そしてそのためには何をどのように学び、未来へ進んでいけばいいのか。
そこを切り開いていける力が、キャリア教育には求められているのです。
キャリア教育には家庭・地域との連携も大切
昔は子どもたちにとって、大人の仕事は身近なところにありました。大人になったら、どんな風に社会に出て、どんな仕事をしていけばよいのか、一定の型がありました。
それに伴い家庭や地域のかかわりも、自然と子どもたちにとってのキャリア教育となっていました。
しかしそのような仕事もいつしか、機械化、自動化、IT化などによって、どんどん遠い存在になっていき、いまや家庭も地域も、子どもたちへ十分な生きる教育が施せていません。
子どもたちは自分の将来のモデルとなるような、憧れの大人を見いだせないでいます。手元のスマホの情報では、大人同士が足を引っ張り合って、なにが立派な大人像なのかはっきりしません。
だからこそ、現代のキャリア教育の意義を、家庭、地域が理解することが大切です。自分で考え、判断し、学んでいく力の大切さを、大人が認識していないといけません。
そのうえで教育に関わる者だけでなく、家庭や地域も一緒になって、子どもたちの「生きる力」を養っていく必要があるのです。
キャリア教育に求められる「生きる力」
本記事ではキャリア教育の意義や課題などについて解説してきました。また、キャリア教育が提唱されてから、どのような課題を抱え変遷してきたかもご理解いただけたと思います。
今日の教育にもっとも求められているのは、「生きる力」です。
学びは学校の授業で終わるのではなく、社会と結びつける能力が必要です。また、変わり続ける社会の中では、生涯にわたり学び続ける姿勢も育てなくてはならないでしょう。
社会人としての基礎的資質や能力を育成するのはもちろん、学校外の社会体験なども充実させなければいけません。そのような学びは、小学校、中学校、高校などと分断して区切られるものではなく、発達に応じて継続的な成長が求められます。
これからの時代を生きる力は、そのような環境でないと身についていかないでしょう。そしてそこで重要視されるのが、自分の役割を見出すためのキャリア教育なのです。
教育はもはや学校だけでなく、社会全体が子どもたちに与えていくべきものです。そのために、多くの大人が生きる力やキャリア教育の意義について、考えることが重要です。