「あの子、何か悩みを抱えているように感じるけど、何も話してくれないんだよね」
「あの子、いつも静かだなあ」
「あの子は大人しい子なんだな」
もしもあなたがお仕事や、親戚の子ども、近所の子どもと接することが多い方だったら、そのような子に遭遇したことはありませんか?
あるいは
「あの子の家庭、何かありそうだけど、下手に聞いたら失礼よね」
「親御さんといるときのあの子、ちょっと様子が違うんだよね」
「あの子のお母さん、ちょっと厳しいよね」
「ものすごく子供のために世話を焼いてあげてるよね」
そのような親を見たことがありませんか?
あなたのその直感と心配は、実は正解のことがあります。
「何か一声けてあげたいな。でもどう声を掛けたらいいのかわからない」
と次のステップを考えることが出来たあなたは、既にその答えを得たも同然です。
その「何かしてあげたい」という気持ちこそが、子どもの求めていることなのですから。
今回は、いわゆる「毒親育ち」である私が、子どもだったあの時、大人に何をしてほしかったのか? ということをお話します。そしてあの時子どもだった私から、今、大人であるあなたに「してほしいこと」をお伝えします。
子どもは何も言えなくなっていても、全身であなたの助けを求めています。
子どもが大人に求めているのは心理的な「安全基地」であること
毒親育ちである私が子どもだった時に求めていたのは、「この人は私を否定しない」という安心感でした。これは即ち、心理的な安全基地というものです。
精神科医でパーソナリティ障害や愛着障害の著書を多く執筆されている岡田誉司氏は安全基地についてこのように語っています。
母親との愛着が安定した子供ほど、活発に冒険し、外界を探索し、他者と関わろうとする。愛着した対象への信頼感や安心感が、子どもが積極的に活動する上での後ろ盾となるのだ。この後ろ盾としての機能を、「安全基地(safe base)」と呼ぶ。愛着が安定した子供は、社会性や活動性が高いだけでなく、知能も高い傾向を示す。安全基地が、子どもの学習や吸収の機会をバックアップしているからである。
『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』電子書籍版発行:2014年1月10日、著者:岡田尊司、発行所:株式会社光文社
※太字強調は執筆者による。
愛着と安全基地の重要性をご理解いただけたでしょうか。
愛着とは子供が大人になってからも影響してくるものであり、安定型の愛着スタイルをつくるにはこの安全基地の有無が重要です。
本来は母親が安全基地になるものですが、問題を抱えた子供にとっては、親が安全基地としての機能を果たしていないことが多いです。
では安全基地というのは、もう一生手に入らないものなのでしょうか?
いいえ、そのようなことはありません。母親が安全基地とならなくても、別の存在が安全基地となることで人生が好転することがあります。
安全基地というのは「子どもの気持ちに共感し、寄り添い、受け入れること。ネガティブなものも否定せずに受け入れてくれること」です。
この安全基地というのは愛着と切り離せないものです。
ここで愛着についても紹介します。
前出の岡田誉司氏も同書内で説明しています。
愛着スタイルを決定するのは、遺伝要因よりも、むしろ環境要因であることがわかってきた。(中略)
『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』電子書籍版発行:2014年1月10日、著者:岡田尊司、発行所:株式会社光文社
学校や社会における対人関係の影響も少なくない。意外に大きいのは、恋人や配偶者と言ったパートナーからの影響である。(中略)一見、生まれ持ったものに思える愛着スタイルも、実は、後天的な体験で形作られた部分が大きいということである。
つまり、親と愛着を形成することが出来なくても、他の大人と愛着を形成できれば、その人が安全基地となり得るのです。
「そんな重要な役目をするには、専門的なトレーニングを受けないといけないのでは?」
と思われるかもしれませんが、引用からもわかるように、そんなことはありません。
確かに知識があれば、よりよい関係を築けるかもしれませんし、その知識はしばしば「大人と大人」との間にも使えるものです。だから知識があれば幅広く活用はできます。
ですが勉強しなくても、できることもあります。
次は私の経験からお話します。
幼稚園・小学校・高校の先生にできる支援とは…子どもがしてほしかったこと
「先生、私ね、先生に抱きしめてもらうと嬉しいけど心が苦しくなりました。先生は優しいけど、まるでお説教を聞くみたいだったから。私が変わらないといけないんだ、って思ってたから」
「私は、私の声をしっかり聴いてもらって、私のままでいいんだよって認めてほしかった」
先生と私たち親子の関わり
私には長く関わってくれた一人の先生がいました。幼稚園の先生でしたが、その人は家庭で個人塾をしていました。私は小学校でいじめを受け、高校生で不登校となり情緒不安定な時期があり、心のケアを目的に先生の塾へ通う時期上がりました。
先生は私を幼稚園から高校生までという長い期間を見ていたから、私の性格もよく知ってくれていました。同時に、家庭環境や母親のことも。
例えば幼稚園の送迎時。その時の私の問題行動や様子を、お迎え時に母親に話していました。また母親の話も聞いていたはずです。
塾の送迎時も然りです。塾と言っても個人塾で、勉強よりも心を育むような取り組みが多かったのが特徴です。その中で私が時々泣いて話すこともあり、母親が迎えに来た時には三者面談のようなことも行いました。
先生に話を聞いてほしかった10代
だからこそ、私は先生にしてほしかったことがあります。
それは先生に、学校に行くのが怖い理由を黙って聞いて、共感してほしかったんです。
そして「あなたが強くならなきゃ、世間は意地悪な人が多いから、これから強くなろうね」という励ましではなくて、「怖いんだね」「それはどうしてかな?」と寄り添ってほしかったんです。
抱きしめてくれるのは温かかったけど、それはまるで「頑張ってね」と言われているようでした。このように関係は深かったのですが、それでも私にとっては心理的な安全基地とはなりえませんでした。
先生が「安全基地」になれなかった理由とは?
なぜ安全基地になれなかったのか?
それは、先生から「あなたが変わるのよ」というメッセージを受け取っていたからです。
まず子どもが「学校に行きたくない」と感じることは、既に心が傷つき、生きるエネルギーが枯渇している状況にあります。
心理カウンセラーである高橋リエ氏はこのように語ります。
ひきこもりとは、ある日突然、起こるわけではありません。
『気づけない毒親』電子発行版:2019年6月24日、著者:高橋リエ、発行所:毎日新聞社
幼いころからじわじわと、子供の「生きるエネルギー」が低下していき、社会のストレスに「もう耐えられない」という状態になると、自分を守るため、安全な家の中に引きこもるのです。
このように、とっくにエネルギー不足で疲れている子どもに「辛いんだね。でも頑張ろうね」というのは余計に追い詰めるだけになります。
確かに、ある時期になれば背中を押して変化を促す行為が必要になりますが、それは疲れと傷が癒されて、エネルギーが再び満ち溢れた時、そして子どもにとって安全基地がある場合です。
岡田誉司氏も次のように語っています。
問題にあまり囚われず、愛着の改善に努めることが重要なのである。その場合のポイントは、安全基地を確保することである。安全基地が確保されると、愛着も安定化し始める。すると、放っておいても、問題になっていた症状や行動は減っていく。力ずくで動かそうとしてもビクともしなかったものが、自然に動き始め、肝心な方向に向かいだす。(中略)
『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』電子書籍版発行:2014年1月10日、著者:岡田尊司、発行所:株式会社光文社
こちらからその人に何かをするというよりも、その人の安全基地であり続けること自体が、治療にも支援にも、もっとも役立つのである。
10代の私がしてほしかったのは、先生に話を聞いてもらって「学校が怖いんだね」「行きたくないんだね」という共感と寄り添いの言葉でした。
子どもはいつだって、話を聞いてもらって、受け止めてもらって、ネガティブな感情もあるがままの自分を認めてほしいと思っています。その欲求が叶ったときにはじめて「自分は自分でいいんだ」という自己肯定感につながります。自己肯定感は自信とは異なり「あるがまま」の自分を認めるということです。自己肯定感があってこそ、自分の感情や意見という、自分という軸を持つことが出来ます。
この自己肯定感を育てるものが、共感し寄り添い、子どものどのような怒りや悲しみや恐怖も肯定してくれる存在です。つまり安全基地と呼ばれる大人です。
10代の私が先生に求めたこと
大人になった私が、10代の私の心を代弁するとしたらこうなります。
「先生、聞いて。私の話を聞いて」
「ただ、うんうんって聞いて『大変だったね』『頑張ったね』って言って。学校が怖い、嫌だ、行きたくない。その気持ちを一緒に考えてほしい」
「問題解決じゃないの。『先生は私を肯定してくれる』って安心させてほしいだけなんです」
カウンセラーにできる支援とは…子どもがしてほしかったこと
「高校生の時に母親に連れられて行ったカウンセリング、初回で終わってしまったけど本当は継続して受けたかった」
「あの時、私はニコニコしていたし、自分がなぜあんなに泣いていたのかもわからないぐらい元気だった」
「だけど『なぜ泣いていたのかわからない』という状況が異常だと気づいてほしかった。初回は元気でも『継続して受けにきてください』と母親に言ってほしかった」
「それが言えるのはカウンセラーだけだから」
情緒不安定になった10代、初めてカウンセリングを受ける
私は思春期では反抗期がありませんでした。これもまた抑圧された子どもの特徴の一つです。反抗期というのは「何があっても大丈夫」という安全基地があるからこそ生じるものであり、自立のためには必要な時期です。
前項でも書いたように、私には高校生になると不登校の時期がありました。
学校に行きたくない、何もかもがイライラする、なぜか涙が止まらない、学校が怖い……。
初めて私がそういう状態になったときには、心配してくれて、数日後にカウンセリングに連れて行かれたことがあります。
カウンセリングでも見過ごされた問題に気づいてほしかった
カウンセリングを受けた時期は、すっかり気分が落ち着いて
「なんであんなに泣いていたのか私にもわかりません」
とニコニコして答えたくらいです。
だからカウンセラーも
「月経と関係あるのかもしれないね」
と言われ、それ以上のことは何も言われませんでした。
きっと「悩み事はある?」など聞かれたかもしれませんが(当時の記憶が私には少ないのです)、私には「自分の意見」というものがなかったので「ありません」としか答えられなかったのです。
ずっと抑圧され、愛着スタイルが不安定な子どもは(大人にも通じます)「自分の意見」「自分の感情」というものがわかりません。「自分」よりも「親」を優先してきたためです。
そこで、カウンセリングはそれっきりで終了してしまいました。しかしカウンセリングというものは継続しないと効果が表れないものです。
カウンセラーが「安全基地」になれなかった理由とは?
カウンセリングとは、本来「あなたを攻撃する者はいない安心した場所」「どのような気持ちを吐き出してもいい守られた場所」「傾聴する場所」となるものです。
つまり、安全基地となりやすい相手でもあります。ですが10代の私にとってはそうなりませんでした。
なぜなのか?
その理由は明確です。
- 初回で終わってしまったため。
- 母親が同席していたため。
この二点が大きいと考えられます。
1回きりのカウンセリングで、何が出来るでしょうか?
特に自分で問題を認識していない10代の高校生にとって、初回でいきなり問題点を訴え、信頼関係を構築することは無理です。
そして子どもが不安定になるということは、親に問題があるケースがほとんどです。それは親に自覚がなくても、「子供のために良かれと思って」いることであっても、様々な方法で子どもは抑圧されています。
当時の初回カウンセリングは、未成年ということで保護者が同席しなければならなかったのかもしれません。
ですが臨床の場では、未成年であっても保護者に席を外してもらって初めて、子どもの抱える問題が見えてくるケースがあります。精神科医の水島広子氏はこのような方針をとっています。
下記に引用するのは、母親に連れて診察に来た摂食障害の患者さんの話です。
最初に会ったときのAさんは、治療への意欲を見せませんでした。(中略)
『「毒親」の正体 精神科医の診察室から』発行:2018年3月23日、著者:水島広子、発行所:株式会社新潮社
これは摂食障害の患者さんには珍しくない態度ですが、私と二人だけの空間で落ち着いてポイントを押さえた話をしてもなお、そう主張し続ける人はあまりいません。これは、「母親に連れてこられた」治療では話しにくいことがあるのだなと思い、しばらくは面接時間のほとんどの間、Aさんだけに入室してもらい、母親は最後に少しだけ同席する、という方針につながりました。母親がいてはAさんは何も話せないでしょうし、逆に、私と母親だけが会うと「何が話されたのか」を気にするだろうと思ってのことです。
このケースでは、後に母親の発達障害からくるパニックが、子どもにとっては虐待という形で現れ「毒親」になっていたということが判明しました。
10代の私がカウンセラーに求めたこと
大人になって改めてカウンセリングを受けるようになった私は、あの時が一番のチャンスだったと思います。
今の私だからこそわかります。
10代の私がカウンセラーにしてほしいことは
「初回じゃわからないので継続してきてください、って母親に言ってください」
それだけです。
継続して受けていれば、その後も落ち込む時期を繰り返していたことや、母親自身の問題、親子関係の問題に気付かせてくれたかもしれません。
カウンセラーが、母親自身が問題を抱えていると見抜いて、早めに助言してくれていれば、私が30代になって追いつめられることはなかったかもしれないのに……という希望を捨てきれません。
子どもが親にやってほしいこと
親に変わってほしい
それはただ一つ、親に、親自身の問題を認めて変わってほしいことです。
苦しんでいる子どもは誰もが「親に代わってほしい」と願っています。
しかし多くの専門家はこう言います。
「親が変われば子どもは変わる」
「親を変えるのは難しい」
子どもだった私が大人に求めること
ではどうすればよいのか?
それは、親をサポートする大人の存在が必要だということです。
問題のある家庭では、子どもが親をサポートする、つまり「親の親代わり」をしてきています。それが、親子の立場が逆転しているという機能不全家族です。
昔の時代は親をサポートする大人が沢山いたのに、今では親も、自分一人で全てをこなすことに精一杯です。そのような誰も助けてくれない状況でただ一人、子どもだけが自分の味方だと思い込みます。だから余計に子供は、親を助けようとしてしまいます。
親をサポートする存在の必要性
親がサポートを受けて安心し満たされていれば、親も子どもへの接し方に余裕が生まれます。
子どもは親に「共感してほしい、寄り添ってほしい」と思っていますが、そのためにはまず、親がそうすることが出来るだけの「心の余裕」を持つ必要があるのです。
誰か大人が親のサポートをしてくれれば、親が余裕をもって子供に接し、子どもは親との間に安定した愛着関係を形成し、その後の人生にもよい影響を与えてくれます。
子育て支援の原則は「共感」と「寄り添い」
これまでの私の人生の中では先生やカウンセラーと関わることがありました。そして実際にはいなかったけれど、親をサポートしてくれる大人も含めて、こうした人々を支援者と呼びます。
また何度も出てきたキーワードとして「共感」「寄り添い」、次いで「あるがまま」を受け入れる「受容」です。
親ではない大人=支援者が子供にしてあげられることは、まず共感し寄り添うこと、そしてネガティブな感情を認めるという受容の姿勢です。
これが子どもにとって「この人は安心できる」という安全基地となります。
専門性よりも関係の質が重要である
それは繰り返しますが、共感と寄り添いと受容による安全基地になることです。
積極的なアプローチでなくてもいいのです。
岡田誉司氏によると、愛着障害やうつ病患者に対して様々な治療法を試みたところ、どの治療法よりも、治療者と患者の関係の質が効果を左右するということがわかっています。患者に共感し肯定的な関係を持つ=安全基地となったことが、患者の症状を改善したということです。これは、ほとんどすべての精神疾患について言えることだとされています。
子どもや親を支援してあげたい
「子どもや親に何かしてあげられないかな?」
この記事をご覧になっている方は、このように考えている方でしょう。
その心を持ったあなたには、もしかしたら今、手助けしてあげたい誰かがそばにいるのかもしれません。
それは子どもかもしれませんし、親かもしれません。
それぞれに対してのアプローチの方法は異なります。また状況や、あなたの置かれている立場によっても変わるでしょう。保育園の保育士、学校の教師、親戚、自分の子どものお友達、近所の住民……さまざまです。
ですがどんなアプローチにしても共通しているのは「共感」「寄り添い」が重要だということです。
共感・寄り添いのコツ
専門的知識は必要ない、と繰り返していますが、知識を持っているとより支援しやすいのも現実です。
知識と言っても、改めて教科書を使って心理学や児童発達、あるいは福祉制度を学ぶわけではありません。できるほうが好ましいですが、すぐには難しいです。
でもネットで出てくる知識を知っているかどうか、だけでも変わります。
それは「傾聴」「ラポール(信頼関係)」「バイスティックの7原則」というキーワードです。
傾聴とは、ただ「うんうん」と聞くだけではなく「相手の立場に寄り添い、共感しながら聞くこと」です。
ラポールとは信頼関係のことであり、主に心理学で用いられます。セラピストとクライアントの間で構築される信頼関係のことです。
バイスティックの7原則というのは、対人援助で用いられる原則のことです。
- 個別化
- 意図的な感情表出
- 統制された情緒関与
- 受容
- 非審判的態度
- 自己決定
- 秘密保持
いかにも難しく言われていますが、
- 個別化……「みんな同じだよ。みんな似たようなものだよ」とまとめずに、その人の背景や人生があるということを忘れない。
- 意図的な感情表出……リラックスして話しやすい環境や声かけ、あるいは沈黙。
- 統制された情緒関与……支援者が相手の状況や態度に飲み込まれて振り回されないこと。
- 受容……どのような気持ちや考え方も「そう感じたんだね」と受け止めること。
- 非審判的態度……「あなたが悪い(正しい)」「あの人が悪い(正しい)」と善悪を決めつけない。
- 自己決定……相手の意思、相手が決めたことを尊重する。行動するのはあくまで相手であること。
- 秘密保持……相手の情報を周囲に話さないこと。たとえ親(あるいは子ども)であっても秘密を保持すること。
これを見てどう感じましたか?
「こんなの難しい!」と驚いたでしょうか。
「意外と簡単」と感じたでしょうか。
簡単、と感じた方は、すでにいくつかを実践していると思われます。
「難しい、出来ない」と感じた人。あなたのそばに、周囲から信頼されている人はいませんか? あるいは、あなたが信頼している人はいますか? その人のことを思い浮かべながら当てはめてみると、よくわかるかもしれません。
こうした知識を完璧にこなさなくても、頭に入れておくだけで違ってくるものです。
もしもあなたがある子どもから「うちの親がさ~」と話し出された時に、「どこもそんなものよ」「親だって大変なんだから」と言うと、子どもは心を閉ざし、表面的な付き合いにとどまるでしょう。
だけど、じっくり話を聞いて「何があったの?」「大変だったね」「あなたにとっては許せないことだったんだね」「(大勢がいる場所だったら)場所を変えて話を聞こうか?」などと返事をしていると、思いがけない子供の抱える本音が出てくるかもしれません。そしてそのやり取りを他の子どもが見ていたら、その子もまた「あの人なら信頼できそう」と思ってくれるでしょう。
もちろん、子どもを大人に言い換えても同様です。
おわりに
私は10代のピンチの時に、キーパーソンになりそうな大人の存在があったにもかかわらず見過ごされてきました。私の10代という、本来は楽しいはずの青春は帰ってきません。ですが、大人になった私は、10代の私を代弁することが出来ます。
10代の私はずっと誰か大人を求めてきました。
「誰か私の声を聴いて! 誰かお母さんを助けてあげて!」
ここまで読んでくださったあなたならきっと、手を差し伸べることが出来るはずです。
苦しんでいる子供に、あるいは頑張っているお母さんに。
参考:
『毒になる親』電子発行版:2013年12月20日、著者:スーワン・フォワード、訳者:玉置悟、発行所:毎日新聞社
『気づけない毒親』電子発行版:2019年6月24日、著者:高橋リエ、発行所:毎日新聞社
『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』電子書籍版発行:2014年1月10日、著者:岡田尊司、発行所:株式会社光文社
『子育て支援員研修・映像教材 科目5:対人援助の価値と倫理』厚生労働省